冷静と給料のあいだ
噂の「給料」を体験せよ!
ニュースでも取り上げられていましたが、南米ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏。
ムヒカ大統領が有名になったのは、「貧乏な人とは、少ししか物をもっていない人では なく、欲深くいくら持っても満足しない人だ。」 という、2012年の国連の会議での演説です。
大統領公邸があるのに、首都モンテビデオの郊外の粗末な家に奥さんと犬と暮らし、趣味は菊を育てること。 大統領の時の給料は月に97万円ほどだったけれど、ほとんどを寄付し、6万円で生活していたそうです。 これはウルグアイの国民の平均月収。 彼の財産は18万円の中古のフォルクスワーゲンだけ。 アラブの富豪に2億円近くで売ってくれと言われた時には、「車は友人からのプレゼントだから売れない」と話したそうです。 国際会議に出る時にはエコノミークラスで移動するか他の大統領の飛行機に便乗させてもらっていたそうです。
彼は国民も認める世界で最も貧しい大統領ですが、5千万円を超す寄付を慈善事業にしていたそうです。 お給料のほとんどを寄付に回し、貧しい人に使ってもらっていたということです。
この「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれ、人民に、そして世界の人に愛され尊敬されている大統領が、85歳で政治家を引退する、と昨日宣言しました。
「政治家の仕事は人と会って話すこと」 それがコロナでできなくなってしまったこと。 ご自分の年齢などを考えた、ということでした。
残念です。
大統領官邸に住まず、郊外の自宅で農業をしながら暮らしているというムヒカ大統領は、古い車に乗って幸せそうです。
彼の言葉を聞く、日本の若い人の姿を見てください。 心に響く言葉を紡げる人が国のリーダーである国は幸せです。
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(Wikipediaより)
ムヒカは1935年にウルグアイの首都モンテビデオの貧困家庭に生まれた。モンテビデオ大学卒業後は家畜の世話や花売りなどで家計を助けながらも、1960年代に入って極左都市ゲリラ組織ツパマロスに加入、ゲリラ活動に従事する。 1972年に逮捕された際には、軍事政権が終わるまで13年近く収監されており、軍事政権側の人質として扱われていた。
ムヒカは出所後、ゲリラ仲間と左派政治団体を結成し1995年の下院議員選挙で初当選を果たす。2005年にウルグアイ東方共和国初の左派政権となる拡大戦線のタバレ・バスケス大統領の下で農牧水産相として初入閣。そして2009年度の大統領選挙戦で、元大統領である国民党のルイス・アルベルト・ラカジェ公認候補を決選投票で破り勝利した。
大統領退任後の2016年4月5日から4月12日にかけて日本を訪問し、4月7日には東京外国語大学で講演を行った。
2020年10月20日、高齢などを理由に政界からの引退を表明
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彼の言葉は、絵本にもなっています。
ムヒカ大統領の言葉には、以下のようなものがあります。
① 私たちは発展するために生まれてきたのではありません。幸せになるためにこの地球
にやって来たのです。
② 根本的な問題は、君が何かを買うとき、お金で買っているわけではないということさ。
そのお金を得るために使った「時間」で買っているんだよ。
③ 働いて働いて働いて職場との往復を続けていたらいつの間にか老人になって、唯一で
きたことは請求書を支払うこと。若さを奪われてはいけないよ。
③ 人生には愛のために多くの時間が必要であり、他者が必要だ。貧しい人というのはコ
ミュニティーをもたない人であり、伴走してくれる人がいない人のこと。最も大きな
貧困とは孤独です。
⑤ 私は貧しいわけではない。単に質素が好きなだけだ。本当にやりたいことができる自
由がある。物が必要なわけではない。
⑥ 人生で最も重要なことは、勝利することではなく歩くこと。転ぶたびに起き上がるこ
とです。そして、自分の意思をもって生きることです。どうぞよく生きてください。